映画作家・想田和弘
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精神0 (Zero)

素晴らしいドキュメンタリーでした。
愛おしく、やさしい気持ちになり、最後は泣きました。
『精神』からだいぶ時が流れたことも思い知らされ、人間は年をとるもんだし、人間はやっぱり穏やかでいることが何よりだ、と。
資本主義に埋もれた感性に、少しでもこの慈しみが沁みれば良いなあ。
仲代達矢 (俳優)
人と「距離を取らなければならない」いま。
人を否定せず、響き合うように生きる山本先生の在り方が、とても優しく愛おしく沁みてくる。
心まで距離を取る必要はないんだ。これからも。
小出祐介 (Base Ball Bear)


「こころの病」とともに生きる人々がおりなす悲喜こもごもを鮮烈に描いた『精神』から10年—
映画作家・想田和弘が、精神科医・山本昌知に再びカメラを向けた
ベルリン国際映画祭をはじめ世界で絶賛された『精神』(08年)の主人公の一人である山本昌知医師が、82歳にして突然「引退」することになった。山本のモットーは「病気ではなく人を看る」「本人の話に耳を傾ける」「人薬(ひとぐすり)」。様々な生きにくさを抱えた人々が孤独を感じることなく地域で暮らしていける方法を長年模索し続けてきた。彼を慕い、「生命線」のようにして生きてきた患者たちは戸惑いを隠せない。引退した山本を待っていたのは妻・芳子さんと二人の新しい生活だった…。精神医療に捧げた人生のその後を、深い慈しみと尊敬の念をもって描き出す。
病とは、老いとは、仕事とは、夫婦とは、そして愛とは何か?
想田和弘監督自身が「期せずして“純愛映画”になった」と語る本作は、第70回ベルリン国際映画祭フォーラム部門〈エキュメニカル審査員賞〉を受賞。また、ニューヨーク近代美術館(MoMA) Doc Fortnight 2020のセンターピースとして上映されること早々に決定した。『港町』『ザ・ビッグハウス』を経て、さらに深化した「観察映画」の最新作は、そう、愛の物語だ。

『精神0』は、非常に卓越したドキュメンタリー映画である。一見何の意味もなさそうな、些細な出来事や身振りをも見過ごさない。その忍耐強さには、深い感銘を受けた。二人の主人公に対する誠実さは、あらゆる瞬間に溢れている。高齢の夫婦に全神経を集中させながら、『精神』撮影時の映像を差しはさむことで、作品そのものの一時性にも意識が向けられる。映画作家の存在は、隠されるわけでも、過度に強調されるわけでもない。その結果、人間の脆さや無常を、類い稀なる優しさと気品を持ってとらえることに成功している。並外れたドキュメンタリーである。
クリスティーナ・ノード
(ベルリン国際映画祭フォーラム部門ディレクター)

Director’s Statement
『精神』(観察映画第2弾、2008年)を撮り始めたとき、僕の興味は精神科診療所「こらーる岡山」に通う患者さんたちに向いていて、診察室で彼らの話を眠そうな顔で聞いている老医師には、特別な注意を払っていなかった。しかし彼が患者さんたちから神か仏のように慕われ、絶大な信頼を得ていることを知るにつれ、この山本昌知という精神科医はいったい何者なのだろうと思い始めた。
山本医師の凄さを「発見」したのは、『精神』の編集を進める過程においてである。診察の様子を繰り返し観察していると、彼が発する一つひとつの言葉や仕草に、治療的な戦略が隠されていることがわかる。そして彼のあらゆる行動が、静かで豊かな慈愛の情によって基礎づけられていることに気づかされる。僕はいつかこの類まれなる医師を主人公にしたドキュメンタリーを撮りたいものだと、漠然と考え始めた。そうこうするうちに、10年が経ってしまった。
2018年、山本医師が3月一杯で、82歳でついに引退するとの報に接した。彼のドキュメンタリーを撮るならば、今すぐにカメラを回さなくてはならない。僕は『港町』の宣伝キャンペーンの合間をぬって、新幹線で岡山へ通った。いつものことだが、どんな作品になるのか、かいもく見当もつかなかった。制作過程は、僕が自分自身に課したルールである「観察映画の十戒」を忠実に実践する場となった。
撮りながらすぐに感じたのは、仕事中毒の山本医師にとって、精神医療は彼の人生そのものであったということである。仕事こそが山本昌知という人間を定義づけ、生きる意味をも規定しているように見えた。そして山本氏は、そのあまりにも重要な現場を、今まさに手放そうとしていた。
山本氏が、医師という地位や看板、役割や生きがいから離れ、一人の「人間」になったときに、どう生きていくのか。同じく仕事中毒の僕には、その点が興味津々だった。想像するだけで途方に暮れてしまうが、それは僕もいつかは通らなければならない道である。いや、何らかの仕事をする人間ならば必ず通ることになる、普遍的で過酷な道である。
そのような視点で山本氏を撮影していくうちに、もう一人の主人公が浮かび上がってきた。妻の芳子さんである。そしてこの映画は、山本昌知個人というよりも、夫婦についての作品になっていった。その結果、本作は期せずして「純愛」についての映画になったのではないかと思っている。
想田和弘





